皆さんこんにちは!
今回はさかい利晶の杜にて、『明星』創刊120年・『冬柏』創刊90年記念「『冬柏』ー『明星』の精神を貫いた理想郷ー」という企画展に行ってきましたので、レポートしたいと思います。
与謝野晶子と寛が中心となって刊行した雑誌『冬柏』の魅力に触れられる企画展でした。
与謝野寛と晶子 自宅にて 昭和8年(1933)鞍馬寺蔵
『冬柏』とは、与謝野晶子とその夫与謝野寛が中心となって刊行したもので、詩歌を中心とした文化を発信する文芸誌『明星』の後身雑誌です。
学芸員さん方の熱意がつまった展示で、興味深いものに触れられたのでこの記事を通して興味を持って遊びに行くきっかけになったらと思います。
展示会は2021年1月31日(日)までなので、気になった方はぜひ足を運んでみてくださいね!
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与謝野晶子と寛が中心となった文芸誌『明星』『冬柏』
雑誌『冬柏』と『明星』*『明星』復刻版は(株)臨川書店提供
『明星』と聞くと、聞いたことあると思う方も多いと思います。それもそのはず、『明星』は近代短歌をけん引した明治時代の最先端の雑誌で、有名な詩人が多く執筆していました。
例えば、森鴎外、石川啄木、北原白秋など。国語の授業でみなさん一度は聞いたことあるかと思います。
その当時『明星』は最も進歩している雑誌として、短歌だけでなく絵画、小説評論、外国文学の翻訳なども掲載していたそう。
1922年にはピカソの絵も紹介されていました。ピカソを知らない日本人のピカソに対する反応が見てみたいところです・・。
まさに、新しい価値観を読者に投げかけて、注目を集めるトガった雑誌だったのです。
今でいうと、アバンギャルドなオンラインサロンかな・・?(笑)
何はともあれ、『明星』は日本文学界に新しい風を吹き込むハイカラでイケてる場だったようです。しかし、そんな世間から50歩くらい進んでいた雑誌は、1900年~1908年の第1期、1921年~1927年の第2期を経て経済的な理由から休刊してしまいます。
しかし休刊してもなお、与謝野晶子と寛は「表現の場」としての、自分たちが作る文芸誌を必要としていました。
寛は、自分たちの雑誌は怠けず創作を行う場、そして仲間と創作の意欲を刺激し合う場と考えていたようです。
そして、晶子が50歳を迎えた1930年、『冬柏』を刊行することとなったのです。
2.冬柏(とうはく)の魅力とは?
晶子と寛の弟子・宮元尚(熊本球磨郡多良木町)が所蔵していた『冬柏』の原本(一部)
『冬柏』の魅力は何といっても、『明星』から受け継いだ「個性と自由の精神」の遺伝子です。
『明星』を知っている方は多いと思いますが、『冬柏』はその価値に反して人口に膾炙することはありませんでした。
しかし、『冬柏』には華やかな表紙さえありませんでしたが、晶子と寛は内容にこだわって作り、継続させたのです。
誌面には、晶子と寛の歌と画家たちの絵が描かれた掛け軸や屏風、短冊・色紙などの頒布会の情報が載せられていました。
雑誌を継続させるためのPR活動の一環とはいえど、晶子と寛の歌と絵画が合わさった芸術作品が生み出されたのです。
晶子・正宗貼交屏風(個人蔵)
『冬柏』は芸術作品を生み出しただけでなく、晶子と寛に日本各地で短歌創作の意欲を与えました。
雑誌には晶子と寛が日本各地に出向いた軌跡の写真と短歌が載せられています。晶子と寛は1930年から1940年まで、旅行先で数多くの短歌を詠みその一部を厳選して掲載していました。
ちなみに1930年代といえば、世界ではガンディーがインドで抗議活動をしたり、日中戦争があったり、後半には第二次世界大戦が始まったりと世界の覇権が争われた激動の時代でした。
当時、どれだけ日本が戦争に突き進んでゆく不穏な時代であろうと、日本各地の人々の生活は変わらず営まれていました。
日本の日常や風景を二人の芸術家晶子と寛は短歌という方法で描き出したのです。
それも、『明星』の「自由と個性」の遺伝子を受け継ぎ、旅をしながら詠み続けました。
『冬柏』第3巻第10号(昭和7年(1932)9月)裏表紙 人吉の球磨川を下る晶子
昭和史を紐解くという観点からも、当時のことを知る手がかりとして『冬柏』はとても価値のあるものなのです。
さらに誌面には晶子と寛が旅行で詠んだ詩だけでなく、「個性と自由」を貫く意思を持った弟子たちの短歌も掲載されていました。
晶子と寛は弟子たちの詩を添削することにも命を懸けていました。
晶子が送った弟子・丹羽安喜子への添削原稿
月刊雑誌の『冬柏』が22年続いた裏側には、晶子と寛、弟子、読者の短歌に対する熱い想いがあったのです。
そうした、『冬柏』に関わった人々の「想い」を時代や場所を超えて感じ取ることができました。
みなさんにその「想い」に触れてもらうため、『冬柏』を現物とともに紹介する企画展が行われているのです。
3.『冬柏』堺までの多難
今回の企画展の魅力は、何と言っても当時発行されたままの『冬柏』が現物で見られることです。
そもそも、企画展担当の森下学芸員曰く『冬柏』が雑誌の形で残っていることがとても珍しいことなのだそう。
実はこの188冊の『冬柏』は、一時展示することが危ぶまれました。
なぜなら、『冬柏』を保管していた宮元尚のご親族が、人吉市の球磨川が氾濫したことで被害を受けてしまったのです。発行された当時は、熊本県の宮元尚が蔵書しており、亡くなった後は人吉市に住むそのご親族が保管していました。
災害の復旧が完全でない中、宮元尚のご親族のご厚意もあり『冬柏』は晶子の故郷・堺でお披露目されることが実現したのです。
晶子が生まれ育った堺で、彼女のライフワークを実物で見られることは奇跡的でとても貴重なことですよね。
他にもこの企画展でしか見られないもの、初公開のものもありましたよ!
晶子と寛、そして弟子たちの人生が詰まった短歌の雑誌『冬柏』に是非みなさんも会いに行ってみてください!
なにか自分なりの発見があるかもしれませんね。
『明星』創刊120年・『冬柏』創刊90年記念 企画展「『冬柏(とうはく)』ー『明星(みょうじょう)』の精神を貫いた理想郷ー」
会 期:2020年12月5日(土)- 2021年1月31日(日)
会 場:さかい利晶の杜(大阪府堺市堺区宿院町西2丁1番1号)
開館時間:午前9時~午後6時 (入場は閉館の30分前まで)
休館日:2020年12月29日~2021年1月3日、1月19日
詳しくはさかい利晶の杜HPをご覧ください!